娘にとって第二のお母さん的存在です

娘を保育園に預け始めたのは生後六ヶ月の頃。まだおすわりもハイハイもできなくて、絶賛赤ちゃんだった我が子を自分の手で育てられないことに酷く悩みながらも、就職したての内定を蹴ることもできず、罪悪感と戦いながら保育園にお願いすることとなりました。
入園するまでに、ミルクを飲めるように練習をしたのですが、娘は生後すぐからどんな哺乳瓶も受け付けない頑固さをもっており、結局ほとんどミルクを飲めない状態で春はスタートしてしまいました。離乳食もまだまだペーストの段階で、朝から夕方までこの子は飢えて過ごすことになるかもしれない、毎朝泣いて謝っていました。
『大丈夫ですよ、ママ!お腹空いたらきっとミルクは飲むだろうし、オヤツもお茶もあるし、私が何とかしてミルクを飲ませてみせるから、安心してお仕事頑張って!』こう励ましてくれたベテランの先生がいました。ここではみかん先生と呼びますね。
みかん先生は初め、我が娘をつきっきりで担当してくれることになり、娘の頑固さと必死に向き合って下さいました。どんなに飢えていても一切ミルクは飲まない。お昼寝も、細切れにしかほとんど眠らない。預け始めて数日間は、朝から夕方までミルクを20cc飲んだら万歳というような状況で、慣れない環境により発熱し、もう保育園に預けることなできないかと飽きらめかけました。
そんな私の気持ちを察して、『大丈夫大丈夫!子供は強いから。私にまかせて!しっかりお母ちゃんがわりするから。その代わり帰ったら、いっぱい抱きしめてあげて!ミルクも私は諦めないよ。お母さんも諦めないでね!』バシッと背中を叩いて励まして下さいました。
そんな粘り強いみかん先生のアプローチによって、娘もスプーンでですが、ミルクを100ccも飲めるようになったのです。感涙してしまいました。その頃には離乳食もたくさん食べるようになり、お茶もコップでしっかり飲めるようになり、飢えと渇きを心配するということはなくなりました。
数ヶ月間、べったりと娘を担当して下さったみかん先生を、娘はすっかり第二のお母さんと認識していて、みかん先生以外には人見知りしてしまうというような時期さえありました。母子共にたくさん支えて頂いて、まさに二人三脚で娘を育てて下さいました。どんな些細なこともしっかりお話を聞いて下さり、育児の壁に寄り添って下さったみかん先生との出会いがあったから、働きながら子供を育てるということが出来たんだと思います。本当に感謝しきれません。娘を同じように大事にして下さる人と出会えたこと、そのご縁に感謝です。